何だか最近、を題材にした作品が多くはないか。ただし、このの扱い方は要注意であることを忘れるなかれ!
というわけで、毎週よる9時から放送されている『マロ~父と私のアパッシオナート~』()をどう見るか。がとは珍しいが、やっぱり注目は扮するマロだ。
「と」をこよなく愛する・加賀谷健が、本作がまさかの『』以上だと思う理由を解説する。
◆を可能にするー力
音楽を題材にした作品でもは、特に細心の注意が必要になる。
まず第一に、俳優にとっての負担があまりにも大きい。例えば、やなどの楽器奏者を演じる場合、幼少から楽器用に訓練された身体を、演奏経験がない俳優が限られた役作り期間でするのはに近い。
これはを専門にする音楽にいる筆者が、実際にさまざまな作品の現場で感じてきたことでもある。
でもときに、そんなを可能にしてしまうような才能の俳優が、驚異のーで演技をこなしてしまうことがある。『マロ』のは、まさにそんな好例だ。
◆佇まいで一本勝負
俳優とは言わば、自分が経験したことがない人生や出来事をほんとうのように見せる仕事。その意味で彼らの想像力はとてつもなく豊かなものだが、要するに“見せ方”を知っている人たち。
ある大手CM撮影の現場で筆者が音楽監修をしたとき、をさわったこともない俳優がほんの1時間ほどの指導によって、プロ奏者と見紛う佇まいで画になっていて驚いたことがある。
『』(、)で天才的な音大生を演じた(幼少期に経験がある)もきっとそんな奇跡を起こしただろう。あるいは上野の相手役だったの指揮の見栄えも素晴らしかった。
楽器は得手不得手がすぐにバレてしまうけど、指揮ならまだ騙しがきくかもしれない。指揮者それぞれのコンダクティングのクセを見様見真似で習得し、あとは佇まいで一本勝負をかけたら
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