何たる暴挙!平安貴族・藤原行成(演:渡辺大知)が恥辱を受けた藤原實方のありえない行動とは?【光る君へ】
2024/01/23

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「ついカッとなってやった。今は反省している」

よく暴行事件を起こした犯人が供述しますが、ちょっとしたはずみで人生を狂わせてしまう様子は、まさに「魔が差した」としか言いようがありません。

そんな心情は古今東西、そして身分の貴賎を問わないようで、やんごとなき平安貴族たちも「魔が差して」犯行に及んでしまうのでした。

今回は暴力事件を起こして流罪となってしまった藤原實方(ふじわらの さねかた。藤原実方)を紹介。果たして、その動機は何だったのでしょうか。

駆け足でたどる藤原實方の生涯

かくとだに えやはいぶきの さしも草 さしも知らじな 燃ゆる思ひを【意訳】これほどまでに燃えるような思いを、言わずにいる思いを、あなたは知らないでしょうね。伊吹山でとれた蓬(もぐさ)で据えるお灸のように燃える思いを。※『後拾遺和歌集』「小倉百人一首」より

藤原實方は生年不詳、藤原定時(さだとき)と源雅信女(まさのぶのむすめ)の間に生まれました。

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若いころに父が亡くなったため、叔父である藤原済時(なりとき)に養子入りします。

成長した實方は順調に出世しますが、長徳元年(995年)に暴力事件を起こしたため、陸奥国へ左遷されてしまいました。

そして長徳4年(999年)12月、現地で馬に乗っていた時、突然倒れた馬の下敷きになって亡くなってしまったそうです。享年はおよそ40歳ほどだったと伝わります。

實方墓所は現代の宮城県名取市にありますが、どういう訳か神奈川県横浜市にも實方塚と呼ばれる墓がありました。

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現在の實方塚は移転後のものですが、移転前の實方塚にも、實方(に限らず、誰か)が葬られた痕跡は発見できなかったそうです。

なぜ塚が造られたのかは不明ですが、何か現地に縁(ゆかり)があったのか、あるいは実方を慕う方がいたのかも知れませんね。

『十訓抄』に見る、犯行当日の描写

さて、藤原實方の生涯をたどったところで、いよいよ犯行の瞬間?を見ていきましょう。

『十訓抄(じっきんしょう)』によると、藤原實方と藤原行成(ゆきなり/こうぜい)の間には、こんなやりとりがあったそうです。

大納言行成卿、いまだ殿上人にておはしける時、実方中将、いかなる憤りかありけん、殿上に参り會ひて、いふ事もなくて、行成の冠を打ち落して、小庭になげ捨ててけり。……※『十訓抄』詳解 下巻「第八 可堪忍于諸事事」より

【意訳】大納言こと藤原行成が、まだ殿上人(てんじょうびと)であったころのこと。藤原實方は何を怒っていたのか、何も言わずいきなり殴りかかり、行成の冠を叩き落として庭先へ投げ捨てたのである。

……何たる暴挙。当時、成人男性が公衆の面前で頭髪を晒すのは大変な恥辱とされていました。

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無理やり現代の価値観に置き換えるなら、 いきなりズボンとパンツを脱がせるくらいの暴挙と言えるでしょう。

それにしても「いまだ殿上人にておはしける時」という表現がすごいですね。

殿上人とは代理に昇殿を許された五位以上の貴族。六位以下の下級官人たちにして見れば、雲の上にいるような存在でした。

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それが「まだ身分が低かったころ」と言わんばかりの表現は、生まれながらにして公卿(くぎょう。三位以上の最上級貴族)になることが約束されていたことがうかがえます。

そんなエリート中のエリート行成が、ある日いきなりみんなの前で、パンツを脱がされるレベルの恥辱を受けてしまいました。

果たして、どうなるのでしょうか?

「そなたに殴られる筋合いはない」行成の毅然たる態度

……行成少しもさわがずして、とのもり司をめして「冠取りて参れ」とて冠して、守刀よりかうがいぬき取りて、鬢かいつくろひて、居なほりて「いかなる事にて候ふやらん、忽ちにかうほどの乱罰に預るべき事こそ、覚え侍らね。その故を承はりて、後の事にや侍るべからん」と、ことうるはしういはれけり。実方は志らけてにげにけり。……※『十訓抄』詳解 下巻「第八 可堪忍于諸事事」より

【意訳】冠が脱げて頭髪をさらしてしまった行成。しかし慌てず騒がず、主殿司(とのものかみ。御殿の管理職員)を呼び出して「冠をとって参れ」と指示。

護身用の守刀から笄(こうがい。一本櫛)を引き抜き、優雅な手つきで髪を整え、冠をかぶり直しました。

そして實方に対して叱りつけます。

「中将(ちゅうじょう。實方)よ、これは一体いかなる仕打ちか。そなたに殴られるような覚えはないぞ。もう少し後先を考えて行動せよ」

その凛然と美しい振る舞いに、我が身が恥ずかしくなった實方は逃げ出してしまったのでした。

いやはや、パンツを脱がされた(ような仕打ちを受けた)というのに、まこと立派な態度です。

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落とされた冠を慌てて自ら拾うような失態も犯さない点も、平素から動じない精神が感じられます。

これじゃあ、どちらの冠(パンツ)が脱げたか分からない……人々はたいそう感心したことでしょう。

「歌枕を見て参れ」實方は流罪に、行成は蔵人頭に

……折しも主上小蔀より御覧じて「行成はいみじき者なり。かくおとなしき心あらんとこそ、思はざりしか」とて、そのたび蔵人頭あきたりけるに、多くの人を越えてなされにけり。実方をば、中将をめして「歌枕見て参れ」とて、陸奥国にながしつかはされける、やがてかしこにて失せにけり。……※『十訓抄』詳解 下巻「第八 可堪忍于諸事事」より

【意訳】藤原實方と藤原行成のやりとりを、一条天皇が小蔀(こじとみ。格子窓)からご覧になっていました。

まったく大した男だ、と行成をちょうど空きのあった蔵人頭(くろうどのとう。天皇陛下の側近長)に任じます。

一方、實方に対しては「歌枕を見て参れ」と陸奥国(東北地方東部)へ流罪としました。日ごろ和歌では何かと詠まれる名所ですが、配流とあっては歌どころではないでしょう。

かくして實方は、遠く奥州の地に果てたのでした。

エピローグ

……実方、蔵人頭になられで、やみにけるを恨みにて、執とまりて、雀と成りて、殿上の小臺盤に居て、臺盤をくひけるよし人いひけり、一人は不忍によりて、前途を失ひ、一人は忍を信ずるによりて、褒美にあへるたとへなり。

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※『十訓抄』詳解 下巻「第八 可堪忍于諸事事」より

【意訳】異郷に果てた實方は、念願であった蔵人頭になり損ねた怨みから雀に化けて、朝廷に舞い戻ったと言います。

片方は一時の感情で未来を棒に振ってしまい、もう片方は一時の怒りを耐えて褒美を得たのでした。

……というお話し。實方が行成を殴りつけた動機についてはついぞ明かされず、本当に一時の感情だったのかも知れませんね。

果たしてNHK大河ドラマ「光る君へ」では、このエピソードがどのように描かれるのか、今から楽しみにしています。

※参考文献:

石橋尚宝『十訓抄詳解』国立国会図書館デジタルコレクション

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