なぜか2日連続でゴミ当番を頼まれたら…米大ヒット本が「次もあなたがゴミを出しなさい」と説く理由 「自分の正しさ」を主張しても、いいことはない
2024/01/22

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ストレスをためないコツとはなにか。心理学者のリチャード・カールソン氏は「自分の正しさにこだわる人は幸せになれない。例えば夫婦間で『今日のゴミ出し当番はどちらか』と迷ったら、自ら率先して行ったほうがいい」という――。

※本稿は、リチャード・カールソン、小沢瑞穂訳『』(サンマーク出版)の一部を再編集したものです。

ストレスに強い人ほど、実はストレスが多い

私たちの社会は逆行しているのではないか。私たちは大きなストレスにさらされた人、ストレスの重圧に耐えている人、ものすごいプレッシャーに耐えている人たちをえらいと思いがちだ。

「めちゃくちゃに仕事をしている」とか「ストレスがたまって」とか言う人をえらいと思い、その行動をまねさえする。私はストレス・コンサルタントをしているので、「ストレスにたいしてとても強いんです」と自慢する声を毎日のように聞く。このストレスまみれの人たちは私のオフィスに入ってきたとたん、もっとストレスに強くなるにはどうすればいいのかと聞くのだ。

幸いにも、私たちの情緒の領域には、次のような侵しがたい法則がある――つまり、現在のストレスのレベルは私たちのストレスの耐性に見合っている、というものだ。

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「私はストレスに強い」と言う人たちは、たえず大きなストレスにさらされることになる。だから、ストレスに強くなることを教えたとすれば、その人のストレスはもっと強くなるのだ。

彼らはストレスの耐性が伸びたぶんだけ、さらに多くの問題と責任を背負っていくことになる。ストレスに強いと豪語する人たちが自分の狂気に目覚めるには、なんらかの一大事がきっかけになることが多い――妻の家出や体の不調といった深刻な事態になってはじめて、新しいストレス対処法を探しはじめるのだ。

「早くやらなきゃ」という気持ちを抑え、まず散歩に出る

奇妙に思われるかもしれないが、一般のストレス管理セミナーで第一に教えるのはストレスの耐性を上げる方法だ。ストレス・コンサルタントでさえストレスまみれになっているらしい!

まず最初にすることは、手遅れになる前に早めに自分のストレスに気づくこと。頭が先へ先へとはたらきすぎるときは、ちょっと引いて態勢をととのえよう。

スケジュールに追いつかないときは、なにもかもやっつけようとするのではなく、速度を落として優先順位を見直すことだ。

もう手に負えない、こんなに仕事があるのか、と腹がたったら、腕まくりして取りかからずに深呼吸したり、短い散歩に出たりしてリラックスするにかぎる。

ストレスがたまっていることに早く気がつけば、そのストレスは丘を転がる雪玉のようなもので、まだコントロールできる。

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雪玉が小さいうちはなんとかなるのだ。しかし、気づくのが遅くて雪玉が勢いづいて転がり出してしまうと、もう手がつけられない。

すべてをやり終えられなかったらどうしよう、と悩むことはない。頭がはっきりして穏やかになれば、ストレスも少なく、能率も上がり、もっと楽しく仕事ができる。

ストレスの耐性を下げると、ストレス自体も減るだけではなく、残ったストレスを解消する独創的なアイデアもわいてくる。

自分の中に渦巻く嫉妬や怒りを否定しない

映画やミュージカルの『』に登場するギリシャのゾルバは、自分のことを「破滅のかたまり」と言ったという。実際に私たちはみんな破滅のかたまりで、そうじゃなければどんなにいいかと願っているにすぎない。私たちは自分が完璧な存在にほど遠いという事実を認めようとするかわりに、自分のいやなところに目をつぶろうとする。

自分のすべてをありのままに認めることが大切なのは、もっと自分にやさしさと共感をもてるようになれるから。不安だらけで自信がまるでないとき強がって「なんでもないふり」をしなくても、その事実を認めて自分にこう言いきかせることができる。「ビクついてても、かまわないんだよ」と。嫉妬しっとしたり貪欲になったり怒ったりしたときも、その感情を否定せずに認めるようになれば、さっと乗り越えて前に進んでいける。

自分のネガティブな感情を不安がったり否定したりするのをやめれば、そういった感情に振りまわされなくなる。

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自分の存在すべてをありのまま認めれば、自分の人生は完璧だというふりをしたり、そうなってほしいと願う必要もなくなり、いまこの瞬間に、自分のすべてを受け入れることができる。

欠点を受け入れると、ふしぎと長所が見えてくる

いやなところや欠点だらけの自分をそのまま受け入れると、ふしぎなことが起きる。ネガティブな感情だけではなくポジティブな感情もあったことに気づくようになる。

自分の利益を頭において行動することもあるけれど、信じられないほど無欲の行動をとることもあると気づくようになるだろう。不安にかられるときもあるけれど、たいていは勇気ある行動をとれることに気づくだろう。カチカチになることはたしかにある、でもリラックスできることもある、と。

自分のありのままを認めるのは「自分は完璧じゃないかもしれないが、このままでいいんだよ」と自分に言いきかせるのと同じことだ。ネガティブな感情にとりつかれたら、それも自分の一部として認めることができるようになる。

人間なんだから当然じゃないか、で片づけず、もっと自分を大きい目でやさしく見るようにしてみよう。自分は本当に「破滅のかたまり」かもしれないが、それを認めてリラックスすることができるようになる。すると周りもみんなリラックスする。

人生は、ただのテストに過ぎない

私のお気に入りのポスターにこう書いてある。

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「人生はテストだ。ただのテストにすぎない。これが本物の人生だとしたら、どこに行くべきか、なにをすべきか指示してくれてもいいではないか」

このユーモラスな言葉を思い出すたびに、私は自分の人生をきまじめにとらえすぎないようにつとめている。

人生とさまざまな挑戦を、テストまたはテストの連続とみなせば、直面する問題の一つひとつが自分を成長させ、パンチにたいして柔軟に身をかわすコツをつかむチャンスだと思えるようになる。問題や責任や越えられそうもないハードルの山にぶちあたっても、それをテストと思えば乗り越えられるチャンスはつねにある。

逆に、一つひとつの問題を生き残るためには是が非でも勝たねばならぬ戦いだとみなすと、人生の旅はかなり険しいものになるだろう。すべてをきちんとやりとげたときしか幸せを感じないからだ。そうなることはめったにない。

人生はテストだという考え方を目先の問題に応用してみよう。

たとえば、難しい年ごろの子供か要求のきつい上司がいるとする。これを「問題」視するかわりにテストだと考えてみる。やっきになって解決しようとせず、そこからなにか学べるかどうか考えよう。

「忙しくて時間がない」が口癖の人に伝えたい

「なぜこれが私の人生に起きたのだろう? これは私の人生にとってどんな意味があるのか? これを乗り越えるためにはなにをどうすればいい? これをなんらかのテストとみなせないものか?」

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と自分に問いかけてみる。

この戦略をためしてみれば自分の反応の変化に驚くはずだ。

たとえば、私は忙しくて時間が足りないという問題を解決しようと必死になっていた。なにもかもやり終えようとしてじたばたし、うまくいかないと自分のスケジュールや家族や環境、そのほかすべてのせいにしていた。

やがて私は気づいた。自分が幸せになりたければ、時間をつくり出そうとやきもきするかわりに、なにもかもやり終えなければならないという考え方を見直してもいいんじゃないか、と。言いかえれば、これをテストだとみなすことが自分に課せられた挑戦だった。

これをテストとみなすことで、私は自分の最大の欲求不満をなだめることができるようになった。いまでも時間が足りなくてじたばたすることはあるが、以前にくらべればずっと減った。

あるがままの現実を受け入れるほうが私にとってはるかに簡単だ。

「今日のゴミ当番は?」迷ったら自分が行くべき理由

そうやって気をつけていないと、日常生活の責任のことですぐ腹をたててしまう。

いったん気分が落ち込むと、一日にやるべきことが1000件もあるんじゃないかと思ってしまう。もちろん気分がいいときは、その数字は半減する。

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考えてみると、自分がやることや果たすべき責任のことは簡単に思い出せるからふしぎだ。でも、同時に、私の妻が日常やっていることはすぐに忘れてしまう。なんて都合がいいんだろう!

自分がやるべきすべてのことをチェックしつづけていると、なかなか充足した人にはなれない。だれがなにをやるのか、どっちが多くやるのか、そんなことばかり考えていると憂鬱ゆううつになるだけだ。じつは、これこそが「小さなこと」なのだ。ゴミを出すのはだれの番かとあれこれ考えるより、自分でさっさと出して家族の責任を1つでも減らしてやったほうが、もっと人生は楽しくなる。

この戦略にたいして強い反論があるだろう。そんなことをしたら利用されるだけだ、と。

それは、自分の正しさを主張するべきだというのと同じようなまちがいだ。ほとんどの場合、自分の正しさは重要ではなく、あなたがほかの人たちより何度か多くゴミを出すのも重要ではない。

ゴミ出しみたいな小さいことにくよくよするのをやめれば、本当に重要なことについやす時間とエネルギーがつくり出せるというものだ。

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