【追悼】南部虎弾さんは「健康」よりも「電撃」を選んだ… 私が見たパフォーマー魂
2024/01/22

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 過激なパフォーマンスで世界的な人気を誇る電撃ネットワークのリーダー、南部虎弾(なんぶ・とらた=本名・佐藤道彦)さんが、1月20日午後11時55分に脳卒中のため都内の病院で死去した。72歳だった。

 南部さんが糖尿病を患っていたのは知られたことだった。19年6月には肝臓移植手術を受けた。この時、南部さんは「糖尿病の悪化が原因」と言い「令和の最初がステージではなく、手術台で体を張ることだとは夢にも思っていなかった」と苦笑いしていたが、本心は心細かったに違いない。

 それにしても、これほど悪化するまで何故、放っておいたのか? 生前の南部さんには幾度となく聞いたが、結局は、キャラクターに逆らうことが出来なかったのかもしれない。

「明け方にはラーメン、スープは飲み干し……」

 南部さんが自らの糖尿病に気づいたのは今から十数年前のことだったようだ。時期的には丁度、「電撃」メンバーの1人だった三五十五(さんごじゅうご=15年3月3日死去)さんが肺がんのため闘病していた頃のことだった。

「骨髄炎で左足が壊死状態になって……病院で検査を受けたところ糖尿病が原因だと診断された」

 その症状は「あわや切断の寸前だった」らしいが、南部さんによると「フットケアの専門医のおかげで最悪の事態は免れた」

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と言う。

「確かに不摂生な生活だったからね。毎晩毎晩、酒を飲み歩いて、明け方にはラーメンばかり食べていた。しかも、スープは全部飲み干していたし……。正直なところ健康のことなんて全く考えていなかった」

 グループを引っ張っていくリーダーとして、夜の付き合いは避けて通れなかったのだろう。よく、深夜近くに、ほろ酔いの南部さんと六本木で出会ったこともあった。

「もちろん、今になったら反省はしていますよ。女房にもえらく怒られましたからね」

 それが本音だったのだろうか。とは言っても、無茶苦茶な生活だったことは言うまでもない。

新幹線でもインスリン注射

 元来、ノーテンキな性格だと言ってしまえばそれまでだが、実際には気が小さく、寂しがり屋な性格だったのかもしれない。糖尿病と診断されてからは、定期的に通院して治療はしていたようだ。だが……、

「当初はインスリン注射をしていたんだけど、これが面倒だったんです。で、お医者さんに頼んで投薬に変えてもらったりして。さすがに仕事で移動中にインスリン注射を打つのは辛かったですからね。振り返ると新幹線の中でも打っていたこともあったんです」

 ところが、投薬に変えたものの「気づいたら症状は悪化していた」

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と言う。その結果、7年前の17年には「急性冠症候群」による心不全で緊急入院、8時間にも及ぶ心臓のバイパス手術を受けて一命を取り留めた。その後はステージにも復帰したものの肝心な肝機能はと言うと悪化する一方だった。

「医者からは人工透析を勧められるようになりました」

 ところが、その人工透析は2日に1回の割合で行うものだった。これが南部さんには耐えられず、そこで色々と考え抜き最終的に人工透析を拒否したと言う。

「人工透析なんかを始めたら、それこそ地方の営業が出来なくなる。パフォーマンスを見せられなくなる」

「カミさんには一生頭が上がりません」

 やはり、南部さんにとっては守るべきものは自分の健康よりも、まずはグループの活動だったのだろう。さすがに医者とは何度もケンカになったようだが、拒否し続ける一方、さすがに不安もあったようで、腎臓の専門医に相談したようだ。すると「人工透析を拒むなら腎臓移植しかない」と告げられたと言う。しかも、その時点で肝機能が低下し、クレアチニンの数値が上昇していたことから「一刻も早く、臓器提供者(ドナー)を見つけ出して手術をした方がいい」と断言された。

 さすがに、この時ばかりは切羽詰まって、家族に相談したようだ。そんな時に「カミさんが『私のでよかったら』と言い出したんです」

 ところが、奥さんの血液型はA型で、南部さんはO型。しかも南部さんの血液は数万人に一人と言われる「RHマイナス」

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だった。

「もう、これは無理だろう」と半ば諦め医者に相談すると「検査結果次第では可能」と言われた。そこで、幾つもの適合検査をやったところ「手術可能」となったそうだ。

「正直言ってホッとしました。助かった……と。カミさんには一生頭が上がりません」

 が、手術は決定したものの、最終的な決定は17年に手術した心臓バイパスの状態次第だったというから、運に頼るしかなかった。結果、手術は無事に成功し、三度、ステージに復帰することが出来た。

 それにしても糖尿病による数々の合併症に心臓バイパス手術……。南部さんは「正直言って周りに生かされているといった感じですね」と吐露していたことが一番、印象に残っている。

 1月16日にエスパー伊藤さんが亡くなった際には「亡くなってから連絡をしてきて、そりゃないだろう」と、最期に会えなかったことを悔やんでいた。ところが、それから4日目の訃報である。言い方は悪いかもしれないが、これには呼ばれてしまったような気がしてならない。

 南部さんは「TOKYO SHOCK BOYS(トーキョー・ショック・ボーイズ)」として、海外からも圧倒的に支持されていただけに、訃報が知られるつれ、今後、海外へも悲しみは広がっていくことだろう。

渡邉裕二(わたなべ・ゆうじ)
芸能ジャーナリスト

デイリー新潮編集部

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