『魔女の宅急便』原作者・角野栄子が伝えたい、“ひとりひとりが自分の言葉を持つことの大切さ”
2024/01/23

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 『』の作者として知られる、児童文学作家・角野栄子の日常に4年にわたって密着したのを新たに撮影し再編集した『な魔女~角野栄子の物語が生まれる暮らし~』が、より公開される。鎌倉の自宅では自分で選んだ「色」の壁や本棚に囲まれ、なと個性的なを身に着ける、89歳の「」。一方、5歳で母親を亡くし、戦争を経験。結婚後24歳でに渡り、35歳で作家するなど、波乱万丈な人生を歩んで来た人でもある。そんなな魔女に、自由に秘訣を聞いた。



◆の秘訣は「あまり人を気にしない」「自分の着たいものを着る」

――映画『な魔女~角野栄子の物語が生まれる暮らし~』はご覧になりましたか。

角野:さんにも、あんまりに撮らないでと言ったんですよ。でも、全部丸見えでね、うちの中がどうなっているか全部わかっちゃったわね。もともとの番組()への出演を受けることにしたのは、文学館(魔法の文学館)ができる計画があったから。その宣伝になるかなとか、私の本の読者が増えるのは良いことだなと思って、お受けしたんです。

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でも、ら「意外とやばい」と。やっぱりって大変ですね。だって、写真はパチパチで終わりでしょ。でも、や映画はじっと時間をかけて撮るんです。私はこれでもういいと思っても、実際に撮った素材が全て同じように使われるわけじゃないから、撮影は時間がかかりました。

――『』や、『がたべたいよう』『つよ』や、「小さなのアッチ・コッチ・ソッチ」などを親子で読んだという方も多いかと思います。

角野:私が作家になったのが(『ンニョ少年 をたずねて』)で、50年以上、本も冊以上出ているんですよね。いまだにお子さんも読んでくださるから、親子で読んでいる方もいれば、こうして取材に来られる方がの頃に読んでいたと言ってくださることもたくさんあります。私の本にはお料理がたくさん出てくるけど、実際に作れないものは書かなかった。と一緒にいとお子さんが言ったとき、「これはお話の中のものだから、実際にはないのよ」と言わなきゃいけないものは、書きたくなかったから。大まかだけど、分量ぐらいは書いて、実際に作れるようにしました。読者の方の中には、海外でになられた方が、日本でを出されているんですけど、「の時、と一緒に角野さんの本を読んで

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を作って食べたのがすごく美味しくて、それが原点だった」とおっしゃってました。

――映画でまず目を奪われるのが、物語から飛び出してきたような角野さんのなです。の秘訣はどんなことでしょうか。

角野:あんまり人を気にしないということはあると思います。「こんな洋服を着て、隣の人に会ったら嫌だわ」みたいなこと、あるじゃないですか。でも、私はそういう風に思わないで、自分がやりたいと思ったららどうですかと言っています。私はいろんな場所に呼ばれる中で、いろいろ考えて服を着ていましたが。そうすると、いったん出かけたのに「おかしいわ、これ」と思って戻ってきて、またたりっていうようなこともあるわけ。もう面倒くさくなって、80歳ぐらいになったときから娘(・くぼしまりお)に全部コーディネートを頼むようになりました。

――赤がすごくお似合いですが、それもお嬢さんのお勧めですか。

角野:以前から赤は好きで着ていたんですけど、魔女を書くようになってから、黒ばかり着ていた時期もあったんです。

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それで、赤い洋服を着ていったとき、絵描きさんから「よくお似合いですね」と言われて、娘の勧めもあったのかもしれないけど、その頃から赤い服を着るようになりました。

どうしても黒いのほうが身に着ける色が制限されるような気がします。その点、髪が白くなると、赤を着ても着ても良いんですよ。そういう年齢になったの。だから、もう変なだと思われても良いから、自分の着たいものを着るようになりました。もちろん仕事をしていらっしゃる方には、もあると思うけど、私にはそれがあまりないので。

――年齢を重ねて、楽しみが広がったわけですね。

角野:皆さんも、洋服の色と合わせて靴下から始めたら良いんじゃないですか。私も娘に言われて靴下を履くようになったんです。夏は冷房があるから、靴下を履くとあったかいし、冬は足首があったかいと寒さがふせげるしとっても便利ですよ。今はいろんな色の靴下を売っているし、失敗してもあまり金額的にも痛くないし、足元だと試しやすいんですね。私も靴下を履くようになってから、毎日がちょっと楽しいです。だから、面白い靴下を見つけると買ってしまうんですよ。

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――自由な生き方の一方で、毎日起きる時間や仕事を始める時間など、かなりきっちりされているのが意外でした。

角野:自分が弱いから、一度崩れたら、どんどん崩れちゃう。だから、時間をしっかり決めているの。私は仕事が好きだけど、ズルズルすれば、いくらでもズルズルできる仕事ですよね。だって、出社時間もないし、退社時間もないわけだから。ズルズルやっていたら、夜中までやらなくちゃならなくなっちゃう。それはやめたいから、時半ぐらいから仕事を始めて夏はごろまで、今は日が短いから4時ぐらいまで。それくらいで終わらないと、散歩に行けなくなっちゃうのよ。散歩と言っても、海がすごく好きだから、海に行くこともあれば、お買い物もあるし、必ずを外で飲むというのも日課です。

夜は本を読んだり、を視たり、絵を描いたり、そんな時間も大切です。私はを視ながら絵をよく描くんですよ。に出てきた人を描くこともあるし。私が描くのは、変なものなのよ。私のではまともに人間なんて描けないから、ちょっとおかしな人をりして、それを見て自分で面白いなと思っています。

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――絵を描くことと、文章とは、また別の時間なんですね。

角野:絵は描きたくなったら描くだけだから。義務じゃないのね、私にとっては。文を書くのは好きで書いているけど、義務もあるんです。だけど、絵は私にとってもっと自由なものです。

◆私が書いたんじゃなくて、が要求してくる


――角野さんの文章には声に出して読みたくなるがありますが、映画にも音読されている姿が登場していましたね。

角野:私は書き終わると必ず音読します。小さい時もそうやって読んでいたし、読んでくださるお子さんもきっと声を出して読むと思うんですよ。私の気持ちや体のは、声を出せば自ずと出てくるわけでしょ。私の呼吸みたいなものが伝わればいいなと思って、音読しますし、音読した方が読んでいても楽しい気持ちになると思うんですよ。

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――今日はやりたくないと思うときや、何も浮かばないときはありませんか。

角野:誰かに何か返事を書かなきゃいけないとか、他にもやらなくちゃならないことがいっぱいあるわけ。そういうときは、ものすごくするの。でも、自分の仕事をしているときは、すっごく安定しているの。1人旅をしていると、ちょっと寂しくなるときってありますよね。私はそういう時、絵を描いたり、何か書いていたりするだけで、気持ちが安定するの。

もちろん書けないときもありますよ。そういうときは、を飲みにいくとか、書く以外のことをするけど、あくる日になればたいてい書ける。書こうと思っていたのを、ちょっと曲げてみようかなとか、そういう自由が戻ってくるわけ。うまくいかないと思っても、一晩寝ると、 別にうまくいかなくたっていいんじゃない、ちょっと右に曲がってみても面白いかもしれないという気分になる。そうすると、違う人と出会うとか、いろいろ浮かんできて、書いているうちにどんどん面白くなっていくんです。私が書いたんじゃなくて、が要求してくるわけよ。「もっと面白いことやりたいな」みたいに。

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――ご自身を離れてが動き出すように感じたのはいつ頃からですか。

角野:『』からかな。短編のお話が雑誌から依頼があったの。そのときに私は、長編連載したいと言ったのね。新人だったし、雑誌で長編連載なんていうのは、名だたる方たちがお書きになるものなのに、私はそんなことを全然知らないから、言ってみたら、検討なさったのでしょうね。てもらえることになって。そのとき、したのが、私の娘がくらいの頃に描いた、を聞きながら空を飛んでいる魔女の絵だったの。

それと、私がの頃、大使館ので『』という写真に載っていた「鳥の目の高さから見たの風景写真」という写真を見て、それがすごく綺麗で、ずっと自分の中にあったことと結びついて。鳥の目で街を見てみたいという思いから「この物語を書けば私は飛べる」と思った。

でも、まず名前を決めなくちゃいけない。黒猫のジジは意外と早く決まったんだけど、はピッタリくる名前がなかなか見つからない。名前が決まらないと、人格を持たないの。そこから、キキと決まったときに、私のそばにキキの像が立つのね。

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それで、が空をで飛んで、上から街を見ながらいろんなことを発見していく、そういう魔女をいなと。一緒に飛ばないと書けないな、飛べたら面白いなと思ったんですよ。もちろん実際に飛べるわけではないけど、飛んだつもりにならなきゃ書けないでしょう。

◆が自分の言葉を持つことの大切さを実感


――豊かな想像力や発想、生き方に憧れますが、専業主婦の頃の息苦しさや、での後悔の日々、戦争など、苦しい時代を乗り越えての自由なのだと、映画を拝見して感じました。

角野:戦争時代には、1つの言葉ぐらいしか目指すことがなかったの。「日本には神風が吹く」と大人ももみんな信じていたのね。今考えると、なぜ信じたのかと思うんだけど、洗脳というのは恐ろしいもので、みんなそう思ったわけでしょ。それが、戦争終わって徐々に、自由と共にの進駐軍の放送でが流れてきて、外来の文化が入ってきた。自分で考えられる世界、自由が広がっていく様子を見て、これだけは絶対に手放したくないなと切実に思いましたね。

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――今、世界のあちこちで戦争が起きていて、特に若い世代は豊かな時代を知らず、閉塞感の中に生きています。

角野:が自分の言葉を持たなくちゃいけないと、私は思う。そうしないと、気づいたら全然違う世界になってしまうことがあるから。戦争の時がそうでした。毎日潤沢にがあって、いくらでも食べられる状態が、ある時期から母が半紙にお煎餅や飴2つを包んで、に渡すようになった。十分に食べられなかったけど、それでもはをもらうと、世の中の変化なんて何も考えずに、うれしく食べるじゃない? 1つ買ってきたら、分けて食べるとか、卵もたまに手に入ったら、1個を分けるわけよ。でも、卵を分けるのは難しいけどね。当時のたちが感じた戦争はそんなものだった。気づいたら何もなくて、疎開と言われたり、も防空演習とかとかに借り出されたの。

――昔の話のようで、今そうならないとは言い切れない恐怖もあります。

角野:本当にそう。焼け跡ってね、ガザやで今起こっていることと同じで、本当に何にもなくなっちゃうの。とても難しいことだけれども、これはおかしいんじゃないかとか、これはどうかと思えるためには、やっぱ

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りが自分の言葉を持たないと。私はに行ったときに、就職する際に「自分のできることは隠さずちゃんと言いなさい」と言われました。は謙遜しがちですが、「これはできるけど、これはそれほどでもない」とちゃんと言えないとダメだと言われたんですね。

隣の人を見て同じようなことをして、みんなで決めましょうというのは楽かもしれない。でも、自分の言葉を持たないは本来農耕民族だから、隣のやり方に合わせようというところがあるけど、右見て左見て自分の意見を決めるような生き方は、これからのグローバルな世の中では通用しなくなる気がします。自分の言葉をちゃんと持って、そこから生まれる自分のきもちを、きちんと喋らないと、気づいたときには違う時代・違う社会になってしまっているかもしれませんよ。

(取材・文:田幸和歌子 写真:松林満美)

 映画『な魔女~角野栄子の物語が生まれる暮らし~』は公開。

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